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バス運転手のボランティア

 この頃は、雑貨を含め楽器を扱いましたが、店名はまだありませんでした。
場所が、元の勤務先の谷本自動車の近くだったため、ある時、バスの運転手時代の友人に
「急用が出来た!すぐに戻って来るから、申し訳ないが俺の代わりにバスを運転していてくれ。」
と頼まれ、待てども戻らぬ彼に代わって、自分の店はほったらかしで半日間、塩浜町の築港から生産町(現・平田町)の農事試験場まで何度も往復しました。

 黄バスと呼ばれていたその頃の40人乗り位の市内バスは常に満員の状態で、これではいくら私に責任が無いとはいえ、運転をやめてバスを乗り捨てる事は出来ませんでした。
 勤務もテゲテゲ(いい加減)、今の世の中では絶対に許されない事ですが、こうした私の例に限らず、当時の不安定な名瀬の街は、お互いの人情に支えられて、なんとか機能していたのでした。
それは、奄美で【ユイワク】と呼ばれている互助の精神なのかもしれません。
 名瀬での最初の従業員は、15歳になる富山美保子さんという可愛らしい娘さんでした。2番目の従業員は隈元メリさんという17歳のしっかりした娘さんでした。