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さらば!沖縄

 私は、この年の5月18日に名瀬で結婚し、翌日には那覇へ出発するというあわただしさで、妻の幸江は、まるで名瀬の店を無給で店番する女店員のようなものでした。

 今思うとマンガのような沖縄での商売でした。ボール紙製の靴を50円で仕入れて500円で売ったり、粗悪な懐中電灯を扱ったりもしました。雨が降ったら、靴を買ったお客が文句を言いにやって来ます。彼の足元を見ると、靴は元のボール紙に戻りかけていました。また、買ったばかりの懐中電灯が点かなくなったとお客が怒鳴り込んで来たりしましたが、その応対は、いつも健七でした。
 
 那覇の泊港に船が入ってくると仕入れ係の健七は、
「その船、買ったっ!」
船の積荷を丸ごと買い占め、それをトラックで壺屋の店舗まで運んできました。日用雑貨なら何でも扱いました。このようにスケール大きく商売を行い、私たち兄弟の店はいつも活気付いていました。

 しかし、6月に朝鮮動乱が勃発し、そのため米軍基地のある沖縄に原爆が投下される可能性があるといううわさがたちはじめました。沖縄には活気があり、商売のほうも順調でしたので、未練がありましたが、すべては、命あってのものだねです。原爆投下の可能性は低いにしても、火のないところに煙は立たないと思いました。

 それで、奄美に戻りたいと兄弟に相談し、店の共同経営から退きました。それまでの収益を分配してもらい、名瀬へ帰りました。それからしばらくして、英一兄と健七も、1人抜けたら寂しくなったからと奄美へ引き揚げてきたのでした。

《追記》
 当時は若さと勢いだけで突っ走っていましたが、このような商売は長続きするものではありませんし、させてはいけません。原爆投下?というきっかけがあったおかげで店仕舞いすることが出来たと思っています。でも、当時は粗悪品を売買することを悪いなどと思う人もいなかったのです。