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音楽の流れる店

 セントラル楽器店は、コロムビア、ビクター、テイチク、マーキュリーなどのレコードメーカーの特約店として営業をしていました。店舗には島唄やクラシック、流行歌が流れ、道行く人たちは、しばし立ち止まって聴き入っていました。
 
 まだまだ蓄音機(レコードプレーヤ)の普及は進まず、ピアノ、オルガン、ギター、レコードなどの販売の6割は奄美の小中学校、高等学校でした。この頃、地元でのヒット曲のレコード売上げは、せいぜい100枚でした。ベストセラーは、【奄美小唄】の1500枚で、ダントツでした。とある日、入港船から流れてきた歌がこの【奄美小唄】でした。魅入られたように港まで走って行って
「今かかっていたレコードの曲名を教えてくれ!」
と船の事務長に尋ねたいわく付きの名曲でした。

 この年の4月に数え年16歳の井口賢勇(いぐちけんゆう)君が入社しました。その後上阪、滋賀県の企業に就職し提案型の猛烈社員として高い評価を受け、中卒の身でありながら常務にまで上り詰めた頑張り屋でした。我が社への在籍はわずか1年でしたが、彼は、折に触れては近況を手紙で知らせてくれたのでいつも陰ながら応援しておりました。

名瀬市の大火

 10月14日午前1時40分頃、中央通りの中ほどにあった城山呉服店から出た火は、またたくまに燃え広がり、荒垣商店、指宿化粧品店、大久保畳店、いぶすき洋品店、吉田商事、堀口商店、丹波写真館、重原工作所販売店、大島電力本社など含む118軒に延焼し、被害総額は、当時1億円以上といわれました。この時、消防団は人手不足、ホースもたったの1本という有様で、早い火の手と野次馬の消化活動妨害がダメを押しました。
 
 当時の新聞は、もし、この時風まで吹いていたら名瀬の大半はどうなっていたか分からないと伝えています。ひと月半後の12月3日に、これを上回る大火があり、市民は疲弊してしまいました。

《追記》
 この年の暮れの大火(屋仁川の青柳から出火)で1361軒もの家屋、建物が焼失し、市民は大変なダメージを受けました。この時、カトリック教会は全焼しました。

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