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目指せ!電力供給本土並み

 当時通産大臣だった、故・大平正芳氏(のちの首相)が来島し、奄美大島青年会議所は、電力対策決起大会を行いました。
 それまでの名瀬市は、深夜になると消灯という時期もあり、電力の供給量は誠に情けない有様で、今の人たちにはとても信じてもらえないような時代でした。
 特に、安定した電力の供給が得られなかった大島郡の幼稚園、小中学校のオルガンは、授業に支障をきたさぬよう、ほとんど足踏み式のものが採用されていました。

《追記》
 その後、昭和48年には、大島電力が九州電力と合併し、本土並みの電力供給が行われました。48年の3月4日には、電力統合祝賀パレードが行われました。これがもう少し早かったならば、あのミュージックサイレンも故障などせず、もっと長い期間にわたって市民に愛される施設として記憶に残ったでしょう。
ともあれ、これは私個人にとって、まともな島唄録音のスタートとなったわけです。

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