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第1回島口発表大会

 島ぐちは島唄の根幹を成すものですから、その保護の意味からもなんとかイベント化して盛り上げたいと、南海日日新聞社を訪問して口説きましたが、この企画は、おいそれと引き受けてはもらえませんでした。これは、楠田豊春(くすだとよはる)さんを担ぎ出して、彼の誠実な人柄と理論的な交渉で、ようやく実現にこぎつけることが出来ました。

 この年、南海日日新聞社の主催でスタートした【島ぐち発表大会】は、わが国の古代語を彷彿させると言われながら急速度で消滅への道をたどっている奄美諸島の島ぐち(方言)を、保存・育成・伝承していくという主旨で立ち上げたイベントです。
 しかし、正直に言うと、そのような主旨は建て前で、じつは村田実夫(むらたじつお)兄が地方公演をしていた頃のメンバーに、徳之島の東文一(あずまぶんいち)さんという方がいらっしゃって、それはそれは楽しい島ぐち漫談を聞かせてくれたことがありました。その時の感動を多くの人に味わってもらいたいというのが言い出しっぺの私の偽らざる本音でした。

 審査員は、秋田八吉(やきち)さん(大勝小学校校長)、恵原義盛(えばらよしもり)さん(郷土研究家)、楠田豊春さん(楠田書店社長)、岡村隆博さん(金久中学校教諭)、幸田(こうだ)博夫さん(大和村企画課参事)の5名でした。
 ルールは、1人3~4分の持ち時間で、農林漁業にまつわる民話、伝説、空想などを語るというもので、審査員は、持ち点50点で、内容15点、表現力20点、地域性10点、態度5点満点で審査を行いました。

 記念すべき第1回には、奄美各地から17名の語り部が参加して、1月13日に名瀬市中央公民館で開催しました。出場者は、大島本島内の出身の人が大半で、それでも、名瀬市、龍郷町、笠利町、大和村、宇検村、徳之島と、各地から参加してくれました。名瀬市内だけでも、浦上、芦花部(あしけぶ)、根瀬部(ねせぶ)、仲勝と、バラエティに富んだ島口を聴くことができました。いずれも、ヤマトグチ(標準語)では到底伝わらない、島ぐちならではの味わい深いものでした。

 島口発表大会も回を重ねるうちに、海の向こうの徳之島からの参加も増えましたが、開催地が名瀬市ということで、そこから遠い地域の人ほど言葉の違いが大きなハンディキャップとなり、観客にアッピールすることがなかなか出来ず、苦労したようです。
 語り部も高齢の方の場合、名瀬市までやって来るということ自体大変な事でした。徐々にそうした高齢の方が参加を見合わせるようになり、子供たちに暗記させた島口を語らせるというケースがちょくちょく見受けられるようになりましたが、それでも参加者が減少傾向にあり、開催を1年おきにしたり、純粋の島ぐちを語る人の調達にご苦労を重ねている担当の方々に対し、このイベントの言い出しっぺとしては申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 
 この島ぐち大会で、服部三蔵(はっとちさんぞう)さん(名瀬市浦上・故人)、求 純利(もとめすみとし)さん(名瀬市仲勝)、沖島義一さん(瀬戸内町嘉鉄)、盛 東洋男(もりとよお)さん(名瀬市芦花部)、渡武彦さん(宇検村田検・故人)など、おらが地元の弁士が脚光を浴びました。住用村山間の間勝雄(はざまかつお)さんは、そうした常連の1人ですが、あまりにも奔放かつ、荒唐無稽なお話をなさるので、私の遊び心も手伝って、「間勝雄(はざまかつお)/島口名人」のカセットテープを制作しました。「愛しい妻の入れ歯」「猪のクリスマスイブ」など、タイトルからしてすっとぼけていませんか?また、昭和55年の1回大会から昭和62年までの選集もカセットで2本作りました。80ページもある標準語翻訳書付きで販売しています。

 現在は、「島ゆみ※(む)た発表大会」と名を変え、継続しています。平成になってから瀬戸内町古仁屋(こにや)の中央公民館で開催した同大会は、出場者が地元出身者で固められ、そのため、小規模ながら質の高いものでした。観客動員の前に、まず内容の充実という前提は、これからの郷土イベントの方向性を示しているようでなりません。

島口達人 間勝雄収録話
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愛しい妻の入れ歯
名瀬市内バス・タクシー
国会議員
猪のクリスマスイブ


島口発表大会特選1集収録話
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兄弟の鹿児島珍道中
ケンムン笑い話
晩酌(だるやめ)
郷里に伝わるテーキ話
マルコス大統領と新大統領アキノ夫人
各地方の方言漫歩
嘉鉄(かてつ)の浜の豚(うわー)騒動
吾(わ)んが子供の頃の話
あまんちゃづると吾ン妻(わんとぅじ)

島口発表大会特選2集収録話
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ガスランプ
島口漫談
うんぺいの嫁貰い
福島ナヲマツを偲んで
アジャ・マジムン
ケンムンばなし
根瀬部人(ねせぶちゅ)ぬ伊津部歩き
ハボウジ物語
似合-タ釜ニド鍋ヤスカル

新入学児童とお母さんの集い

 毎年小学校1年生となるお子さん対象のイベントが、新入学児童とお母さんの集いです。その第1回は、2月の中旬に名瀬市立体育館にて開催されました。主催は南海日日新聞社、後援は名瀬市教育委員会で、名瀬地区交通安全協会とセントラル楽器が協賛しました。
 内容は、子供たちに通学の際の横断歩道の渡り方などを竹山菊乃さんの腹話術の人形を使って行ったり、エレクトーン演奏で、歌や遊戯を楽しむものです。ヤマハ音楽教室と英語教室も毎年このイベントで体験レッスンを行っています。

 一番の魅力は、協賛店の提供するランドセルや学習机のお楽しみ抽選会です。イベントの最後にこれがあるのですから、親子ともども、入場の際手渡された抽選券を握りしめてワクワクしながらその結果を待つのです。当選番号を読み上げるたびに歓声と落胆の声が同時に聞こえてきました。
 
 これは、新1年生とお母さんの集いと名を替え、現在も行われていますが、少子化の影響か、お子さんの数が以前に比べ寂しいものになって来ました。

奄美民謡大賞スタート

 昭和50年からはじまった、南海日日新聞社主催の【奄美民謡新人賞】の狙いは、島唄の底辺拡大と普及促進をするためのものでした。
 このイベントは、55年に名前を変えて【奄美民謡大賞】となりました。そして、鹿児島テレビ放送(KTS)の関わった鹿児島大会、全九州中国大会を経て、日本テレビ主催の全国的な【日本民謡大賞全国大会】というイベントに連結され、奄美島唄が飛躍的に発展する、その登竜門となりました。

 ちなみに、第1回奄美民謡大賞の大賞受賞者は坪山豊(つぼやまゆたか)さんで、その後、当原(とうはら)ミツヨさん、中野律紀(なかのりつき)さん、元(はじめ)ちとせさんなどの全国区の歌い手を輩出するイベントに成長してきました。
初期は、島唄の基本として朝花節を予選曲とし、本選では他の曲を歌うという審査法でした。

 平成15年の第24回大会では、参加者数168名という盛況で2日間かけてのものになりました。
この数年、参加者が100名を超えることが多くなり、運営する側も審査にかける時間が確保出来なくなり、予選曲「朝花節」を省略するということになりちょっと残念です。
 少年の部(15歳未満)、青年の部(15歳以上40歳未満)、壮年の部(40歳以上60歳未満)、高年の部(60歳以上)と言う4つのコースがありますが、島唄をきっかけとしてデビューした元ちとせさん効果とでもいうのでしょうか、少年の部の参加人数だけでも50~60名となり10年前の10倍となりました。

 私も審査員として10年、審査員長として5年くらい努めましたが、その頃真夜中に熱烈な島唄ファンから
「どうして自分の集落の○○が賞をもらえなかったもか?」
といった電話がよくかかってきたものです。我が集落の唄が出身者にとって1番なのは判りますが、審査員は複数で、審査員長の私が1人で決めていたわけではないのです。
 規模が大きくなり会場も当初、名瀬市立体育館だったのが奄美文化センターに変わり発展してきました。
 バブルがはじけたこと、民謡ではテレビ視聴率が獲得できないということなどの理由から、平成3年には日本テレビが降板していまい、現在では、鹿児島大会でおしまいです。

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地元・南海日日新聞より

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奄美民謡大賞の審査発表
審査員長・小川学夫さんの講評

新社屋完成

 11月29日に6階建ての新社屋が完成しました。
 その白いビルは、1階にレコード・ミュージックテープ・LM楽器・音楽書売り場、エレクトーンハウス、2階にピアノ・管楽器のコーナーと事務所、3,4,6階に9つの音楽教室とその受付、講師控室、5階は150人収容のイベントホールという大がかりなものでした。

 オープン記念のイベントが目白押しで、エレクトーンプレイヤーの南部昌江(なんぶまさえ)さんがクイズジョッキーを務めたり、専門家によるエレキギターやエフェクターのクリニックをしたり、母親のための講演、フィルム上映、3人のエレクトーンプレイヤーによる4時間演奏のリレーマラソン(略してエレソン)で、いったい何曲弾けるのか?その数当てクイズなど、常にイベントが入っていて活気付いていました。
 
 順風満帆な船出と思われましたが、それでも大きな落とし穴が待っていたのでした。
 奄美全体でも大島紬の売り上げが、がくんと落ちて、名瀬市にあった朝日工業、朝野建設などの企業が次々に倒産するという大変な時期にさしかかっていました。この年を境として、わが社の売り上げは信じられないようなダウンを始めたのです。
 このビルを建てるに当たっては、これまでの右肩上がりだった売り上げを少なめに見積もって緻密な返済計画をたてたつもりでした。
 しかし、エレベーター設置や音楽レッスン室の増設、またエレクトーンなどの商品の増加により電気代も大幅に上がりました。従来と違って計算外のものも増えてきました。
 この頃、売り上げの前年度対比伸び率は21.69%でしたので、最悪でも10%位は大丈夫だという事で計画を立てましたが、逆に10%マイナスとなり、後述しますが大変な事態を招いてしまいました。

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