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楽器店に専念

 「兄貴、セントラル発動機を辞めさせて欲しい。」
鹿児島市内の自転車屋をやっていた時代から私を手伝っていた弟・光宝(みつたか)が、突然こう言ったのです。数年前、大阪で働いていた彼を
「給料は今の倍払うから、手伝ってくれ。」
と口説いて連れてきた私としては、びっくりです。
「それは確かに、兄貴のオートバイ販売の実績は素晴らしいけれど、肝心の儲けがないじゃないか。自分は、妻子を養っていくのにこれでは先の見通しが立たないから辞めたいのだ。」
という訳でした。私は、それまで三宝の忠告をあまり聞かなかったので、とうとう見切りをつけられたということでしょう。楽しさ優先の道楽商売に決別する時期が来ていました。

 「今のレコード店とオートバイ店の二束のワラジから、どちらかに絞りたいがどっちがいいか?」
と家内に、尋ねましたら、レコード店だとの返事が返ってきたので私の腹も決まりました。
 9月に(株)セントラル発動機を光宝に譲り、翌10月に私の方は、(株)セントラル楽器店として発足しました。当時、22名いた従業員の中から8名を引き抜いて独立した光宝は、健全な経営を始めました。それまで、私はサブディラーの方々を集めて、やたらと飲み食い等をしていましたが、光宝の時代になってそのような無駄な事は一切しなくなり、
「兄貴の時の方が良かった。」
とクレームが付くほど徹底したものでしたから、当然、光宝の会社の利益も急激に上がってゆきました。
「しかし、このままでは兄貴としての立場がない。」
と、3年後の昭和39年、奄美産業株式会社の中村源一郎さんの提唱する【計画経営】に感動してその道に入り、私も世間並みの経営をすることになりました。

 都市計画の一環で、店舗の場所が、道路向かいに変わりました。11月には次女が生まれ、家の中が一段と賑やかになりました。