奄美島唄も少しづつ変化を見せている。 昔のままの島唄が残されているのは遠いブラジルの地であったりする。 坂元豊蔵も若くして故郷を後にした。それゆえに、いつまでも瑞々しく思い起こせる記憶の中の人たちと山河があった。 人生の大半を東京ですごした。 それでも、島唄は手放さなかった。 唄を演ることが己がシマンチュ(奄美出身者)であることの証明だといわんばかりに・・・。 だから、異郷の地で歌った。 シマの血がたぎった。 人々は言った。 「豊蔵の島唄が聴こえたら、そこは奄美になった。」と。