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ヤマハオートバイの特約店になる

 以前、日本復帰を記念して奄美に莫大な教育予算が組まれるという話があったので、私は、ピアノ、オルガンなどの仕入れを鹿児島市内の十字屋さんにお願いして、アサヒというメーカーの250CCのオートバイ(22万円で購入)にまたがり、大島本島、喜界島、徳之島の学校をくまなく訪問しました。この時、学校では面白いようにピアノ、オルガンなどの注文が取れました。

 ところが、喜んだのも束の間で、なんと、これらの楽器は、すべて国が現物を無償提供するということに決定してしまい、当然、学校からいただいた注文のすべてがキャンセルとなってしまいました。
 
 この時ばかりは、心底ガッカリし、しばらくは何もやる気が起きませんでした。
 しかし、オートバイで風を切って島々を走りぬいた快感が体に残っていましたので
「いっそのこと、オートバイを扱ってみようか。」
と思い直し、アサヒのオートバイを処分したお金を元手に、この年の6月にヤマハオートバイの特約店となりました。こうして、セントラル楽器店と併用で、オートバイ店を始めました。

 ある者はオートバイを趣味として、またある者はそれを生業(なりわい)として私の周りに集まり始めました。

ツーリング記念写真

写真は右から、
泉 正男(いずみまさお)君(東京堂元社長)
西 星公(にしせいこう)君(ホンダプリモ社長)
指宿 良彦(いぶすきよしひこ)
横山 和夫(よこやまかずお)(後ブラジル移住・家内の二番目の弟)です。

 数え切れないほどのオートバイでのツーリングを行いましたが、純な若者たちの笑顔が素敵なこの写真が一番のお気に入りです。
背景は、名瀬市小浜町の方面です。

奄美群島日本復帰す

 体の不調を引きずったまま、また年が明けました。相変わらず血痰に悩まされ、そんな最中、長女・兼子姉の夫・中原四(あずま)兄が突然、心臓麻痺で亡くなり、人の命のはかなさに唖然としました。島唄の好きな社交的な義兄でした。

 そんな中、明るい話題は、天文館通り(現・奄美本通り)に昨年11月から着工していた店舗が完成したことと、次男が生まれたことでした。この店構えは、当時としてはなかなかモダンなものでした。
 
 名瀬市民は、奄美群島日本復帰へ向けて盛り上がってきた時期で、気運は島外へと広がっていましたから、病気がちだった私は、カヤの外のような気分でした。
 12月25日、奄美は日本復帰しました。