これが文化だ!

中央集権というと東京を中心とした、右へならえ式の「金太郎飴文化」のことダ、と思うのはワタシだけではないハズ。

昔、桜の花が4月に咲くと小学校の教科書で読み、正月に桜が咲くここ奄美は規格外だという淡いコンプレックスを持った記憶がある。

今なら、てやんでぃ!と言えるのだが・・・若すぎたっ!

ここでしか、見ることも、聴くことも出来ないモノ。
まねの出来ないモノ。
一朝一夕に創れないモノ。
それが、文化だ! 徳之島の文化をご紹介!
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■闘牛文化
1.
徳之島の高校の「友人同士でお金を出し合って牛(闘牛)を飼ったりしない」という校則を見つけ大笑いしたのですが、ここには多くの猛者がいたのでした。

2.
お葬式と闘牛大会が重なった場合、まずは闘牛場へ出向くのだそうです。
ゲンをかつぐ勝負事の前に人の死というものは不浄なのでしょうか?
その後、そそくさと葬儀場へ向かうのだとか。

3.
子供たちの話題の一番手はテレビゲームのソフトの事。
しかし、その次が、闘牛なのです。
「ショートホープGOGO号は眉間突きが上手い」とか、「鋼鉄愛妻二号は海老角が鋭いから腰を落としてすくえば無敵だ」などと、対戦する牛の話もしっかりしています。
夕方になると郊外で牛の散歩をさせる人々の姿が目に付きますが、このノリは、まさしく犬の散歩なみ!

4.
奄美で大ブレイクした闘牛ソング「ワイド節」もこの島の人々に増幅されなければブレイクしなかったでしょう。
ここは、本当に闘牛が大好きな島!

■前原口説(めーばるくどき)
さて、ようやく本題です。
徳之島のおすすめは闘牛の島にふさわしく前原口説(めーばるくどき)。

琉球調のサンシン伴奏で始まるナレーション・ソング前原口説は、伊仙・検福の前原坊(めーばるぼう)という牛好きの男の物語(実話)です。

その内容を要約すると次の通りです。
「一介の百姓の分際で闘牛を持つとはなんと生意気なヤツだ」と目を付けられ、薩摩藩の役人の持ち牛との対戦を仕組まれた前原坊。
しかも、後になって気づいた事に相手方の牛と我が愛牛との器量の差は大人と子供。
対戦の日は刻一刻と近づいて、ああっ、どうなるんだ、この勝負!
この圧倒的不利な状況にありながら娘の千代の活躍で前原牛は、ついに奇跡を起こします。
豪快な逆転勝利をおさめた前原牛のそのドラマチックな戦いぶりと、支配者側の牛に勝利したという事が当時の民衆にとっても快哉だったのでしょう。
二百六十年を経た今も語り草となっているのです。

■口説の説明
徳之島の口説は(しいて十二音階で言うなら)、ファ♯・シ・ソ♯・シの伴奏を繰り返しながら、叙事詩を語るように歌うもので、琉球のものと共通です。

[沖縄調子と奄美調子の違い]
一般に沖縄ではレ・ラ、奄美ではファ・シの音皆を使わない場合が多い。(例外アリ)

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■闘牛サミット
平成十四年十月、東北、北陸、山陰、四国、沖縄、韓国と闘牛の盛んな都市から関係者が集まり、徳之島で闘牛サミットが開催され、今後の発展を誓い合いました。
このかけがえのない闘牛文化は今後も徳之島に力強い楽曲を生んでゆく事でしょう。

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