元ちとせの世界

■元ちとせの子守唄

島唄には珍しく、伴奏が付かない 「子守唄」 が収録されている。
怖いほどの迫力を持つちとせの唄と声だが、この唄は、ピュアな彼女を発現する。
家族の愛に慈しまれて育った人ならではの唄声だ。心地よい―。

私は、これを聴いて元ちとせの唄が好きになった。
歌い手に素晴らしい資質があってこそ、古来の唄が鮮やかに蘇えるのだ。

■「元ちとせ・ひぎゃ女童」
※「奄美民謡大賞新人賞受賞記念作品」
ひぎゃ=東
昔の行政区分で瀬戸内に東間切りという地区があり、そこで歌われていた種類の唄なので、ひぎゃ唄と言った。

1994年8月10日(水)~13日(土)
初めて出会ったとき、彼女は、ラフな服装の少女だった。
子供の島唄録音を担当するのは私も初めてのこと。
半ば期待、半ば不安。

「女ッ気のない子だナ」 これが、第一印象。
気さくな母親に比べそっけない娘。
不必要に媚びたりしない猫のようなムード。好感。

師匠である故・中野豊成氏と奥さまが同席した。
その末子夫人は、ちとせの囃子を務めたのだ。
カセットテープを作るのに、20曲近く(60分)必要だった。

奄美では、仕事中のBGM(機織りなどの)に愛聴される。
はたして15歳の少女にそれだけのレパートリーがあるのか?
この日、行きゅんにゃ加那、らんかん橋、塩道長浜、黒だんど、正月着物を歌ったが、OKがなかなか出なかった。

ステージと違い、ずうっと残るものだから妥協は許されない。
本人の名を汚してしまうからだ。

録音は、4日で終了。
練習を積んで、冬休みに続きを採ろうと話し合う。

冬休みのレコーディングは、’94年の暮れの12月27日から30日まで、’95年の4月にカセットテープは完成。

歌詞は、巨匠・武下和平氏のものが多かったので、若い女の子にふさわしいものをと、島唄研究家の小川学夫さんに選んでもらったもので勝手が違って歌いにくかった様だ。
苦労しただけあって、完成度は高かった。

なぜなら、奄美の島唄は、何百年も歌い継がれてきた奄美のロングヒットソングなのだ。
人生観、教訓、恋歌と、そのすべてが長い間に醸成されてきたものなのだから。
しかも、歌い手は元ちとせだ!

彼女の声を聴いているだけでも心地良いのに、歌に込められたメッセージがまた、たまらなくいい。
これほどの歌い手には、そうそう出会えないだろう。

<奄美島唄コラム | 元ちとせの世界 その2>