村田実夫の世界

村田実夫は、大正8年8月25日に名瀬の久里町で生まれた。

笠利町佐仁出身の父親の影響もあって島唄と三味線をこよなく愛した人であった。
のちに東洋音楽学校で声楽を学ぶ。

郷土芸能で培われた感性と西洋音楽が合わさり、彼は独自の作風を作り上げた。
兵役後、奄美文化協会主事として奄美の音楽文化向上のために尽力した。

「農村小唄」、「名瀬セレナーデ」など数多くの名曲を生みだし、戦後の奄美各地を精力的に巡回公演する。

この時期の村田の活動は、復興期の奄美にあって多くの島民を勇気づけた。
復帰後も、音楽と共に歩んできた人生であったが、昭和48年8月9日急逝。53歳という若さだった。

彼の残した曲の中から、代表的なものをご紹介する。
新民謡という、奄美のそれぞれの時代を謳いあげたメロディは、そのまま、私たちの歩んできた道となった。

村田実夫を語り、彼の作品を演奏する事が、私たちの郷土・奄美を見つめ直すよすがとなれば、さいわいに思う。
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■新民謡録音の思い出

昭和35年に村田実夫氏のレコーディングをした。
彼の歌をどうしても残しておきたかったのだ。

2月のとても寒い時期に村田氏と2人で東京へ出発した。
「君たちのようなお上りさんがスタジオを借りたら法外な値段をふっかけられる恐れがあるから…。」と、後年、島のブルースの作曲をなさった渡久地政信先生が、ご自分の名前で青井スタジオという場所を申し込んで下さったのだ。

村田氏と渡久地先生は、三界稔先生の同門で兄弟弟子であったので、2人は、「実夫」「渡久地」と呼び合う間柄で、録音の最中も、村田氏の、渡久地先生への遠慮の無い注文が飛び交った。
そのたびに、渡久地先生のお弟子さんは、楽譜の書き直しをやって下さったのである。

特に、本茶峠のイントロの鈴やテナーサックスの音色にはこだわった。
「渡久地、ここの所 何とかならないか?」「実夫、これでどうだ!」
「そこも何とか…!」と言って、くいさがった。

納得のいく音色になったら子供のように「これだ、これだ!」と、満面に笑みをたたえ、はしゃいでいた。

また、徳之島小唄の間奏は、軍歌調だったので前奏に徳之島の餅貰い唄、間奏に徳之島一切節を入れてもらった。

この時に、渡久地先生のお弟子さんの小林三千子さんという方に徳之島小唄、月の白浜(実夫とデュエットした2曲)、磯の松風を歌っていただいた。

永良部百合の花のレコーディングは、ボーカルの山入端節子さんが風邪気味だったので、後ろから暖房を当てて大事をとりながら行った。

名瀬に戻って、石橋町にお住まいだった本茶峠の作詞者・重原源隆さんを訪ね、吹きこんだテープを聴いていただのだが、その出来を大そう喜んで、一晩中祝って下さった。

本茶峠、新北風吹けば、農村小唄、月の白浜、磯の松風、徳之島小唄、夜明け舟、永良部百合の花と、新民謡の名曲の大半をこの時期に奄美出身の偉大なスタッフたちと録音制作出来た。 (セントラル楽器・会長・指宿良彦談)

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■「名瀬セレナーデ」

軍政府の当時、泉芳朗氏の主宰する刊行誌「自由」で歌詞の一般公募を行い、「名瀬セレナーデ」「新北風吹けば」がその時に生まれた。
昭和23年の事だ。作詞者は、永江則子氏である。

名瀬セレナーデのメロディについては、村田実夫氏が、2曲準備して「永江さん、あなたは、どっちが良いと思う?」と、おっしゃったそうだ。

彼女は、現在の歌になっている明るいメロディを選んだ。
これは、実夫の実弟・正男氏も相談を受けて「兄貴、こちらの方が明るくて、今の世の中には合うと思うよ」この曲は、奄美版「青い山脈」といったイメージであろうか。
多くの人の思いをのせて今も愛唱され続けている。

■「農村小唄」

この「農村小唄」は、昭和23年8月15日南海日日新聞社主催による奄美新民謡一位入選作である。
作詞は、宇検村宇検出身の政岡清蔵氏、作曲は、村田実夫氏である。

南西諸島が日本から分離されたこの時期、村田氏は、精力的に島内を廻って演奏を行った。
政岡さんの生地、宇検での演奏会の時の村田氏の言葉だ。
「農村小唄の作詞者政岡さんが、かつて学んだ母校で『唐鍬ぬ軽さよ』を歌うことができ大変嬉しい。
作詞も奄美の情緒をとらまえた秀作ですが、私の作曲も真心こめて作りあげた会心の作です。
今、日本本土では、明るい『リンゴの唄』が大流行で、戦いに打ちひしがれた国民の心に灯りをともしてくれました。
心をこめて歌いますので、4番目は皆さんも合唱してください」

こうして奄美の各地で村田実夫氏を中心とした演奏活動が続けられた。

敗戦後、島の人々の心のともしびとしてこの歌は力強く歌われていった。
だから、生活の中で育まれたこの歌を歌うと、当時のいろいろな思い出がよみがえり、力が湧き上がって来るのである。

<奄美島唄コラム | 村田実夫の世界 その2>