「唄袋のシマから」秘話

■「唄袋の島から」

新作シマウタと銘うってCDを制作した。
「宇検村は、唄袋のシマだ」と言う坪山豊氏の言葉がヒントになった。
※唄袋=唄の宝庫という意味。
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■ブスの唄「ばしゃやま節」

セントラル楽器の島唄コーナーに たまに聞きなれない曲のお問い合わせをいただくことがある。
そのひとつに〝ばしゃやま節〟が あった。

曰く、「やむららん唄」なのだと。※やめられない唄=イイ唄
面白くて、教訓的で、友人にぜひ聴かせてあげたい唄なのだと、そんなシマウタ愛好者たちの断片的なお話をつないでいくと、ひとりの唄者に行き着いた。

〝ばしゃやま節〟は、坪山 豊さんの持ち唄なのであった。
ばしゃやまとはシマグチで、直訳すれば、ブスとなろうか。
つまりは、〝ブスの唄〟ということだ。
女性にとって、大変失礼な曲名だ。

しかし、唄のお問い合わせは、圧倒的に女性が多いのも、面白い現象であった。
いわゆる レコード化されていない新作・シマウタが、坪山さんの唄ったあちこちでご披露されていたと言うことである。

〝ばしゃやま節〟とは、いかなるシマウタぞ?と興味は深まって行った。
ばしゃやま村 の奥 篤次社長が その仕掛け人であった。
同社の社名にちなんで、奥社長が、故・椿 吉盛さんに制作依頼し、遊び心をもって作詞したという。

花染め節というシマウタがある。
「若く美しい女性を貴方は選んだが本当の美しさは外見ではないのに」といった内容だ。
それの、コメディ版と思えばよい。

〝ばしゃやま節〟の歌詞の一節をご紹介する。
♪鼻や 平ばな 顔やまんまる 眉や近きゃさて うれが愛嬌
  頭(かまち)や 効きゅり 胴(ふどぅ)も太さて
  ウーレサッサ ハレサッサ ふどぅも太さて♪
なんだか、心底 楽しくなってきた。

■黒砂糖の製造工程の唄

「砂糖つくり節」 新作シマウタの録音の交渉で坪山 豊さん宅を訪れたのは、94年5月の事である。

まず、新作の曲数がどれほどあるのかを質問した。

ワイド節、あやはぶら節、ばしゃやま節、と幾つかはスラスラと出ていた坪山氏、 急にウーンとうなってしまった。
作った曲をいちいち覚えてはいないと言うことのようだ。

結局、利津子夫人や皆吉 佐代子さんにも来ていただいて、彼女らの口から 砂糖つくり節、後悔、眠れよいまじょなどの曲名が聞けた。
作曲したご本人があまり執着していないのだ!

「放っておいたら、この唄は いずれ なくなってしまう」
この時は正直ゾッとした。逆にCDは 絶対作ろうと決心した。

砂糖(さた)つくり節をこの時はじめて聴いた。
この唄は、ワイド節のようにパワフルではない、あやはぶら節の哀愁とも違う、ばしゃやま節のひょうきんさもない、只々、一家総出で砂糖を作る様が唄われている。
父母も兄弟も姉妹もみんな働き者ばかりで、生計を立てるためにとにかくせっせと自分の役割を果たしている、そんな光景がまぶたに浮ぶ唄だ。

あまみ庵 の森本社長曰く、「砂糖(さた)流れの唄じゃヤ」。
砂糖が出来るその行程を唄ったものだが、なるほど うまいことを言う。
作詞は、〝ばしゃやま節〟の椿 吉盛さんだ。

♪ シマぬ弥生や 黍(うぎ)植ぬ時期じゃ 兄や畠耕(はてう)ち
父(じゅう)や畝(うね)きり 姉や種剥ぎ 母(あんま)や植えかた
ウーレ ウレ ウレ 母や植えかた アドッコイサッサ コラサッサ♪

5番まであるが、不覚にも涙が出そうになった。
昔の家族の絆は強かったのだ。
今は、家の手伝いをする子供の姿なんて とんと見かけない。
勉強さえしていれば、親は満足なのだろうか?
唄が 私に問いかける。

■いまじょへの鎮魂歌

島唄愛好家はかんつめ節をよくご存知である。
では、〝いまじょ〟は、どうだろう?

かんつめは、奴隷の娘で 主人夫婦に恋路を邪魔され、ついには 自ら死を選ぶ。(舞台は、宇検村)

〝いまじょ〟は、似た様な境遇ながら、殺されてしまったという点でより悲惨といえる。(瀬戸内町)

「眠れよ いまじょ」の作詞は、「ワイド節」の故・中村 民郎さんだ。
この曲は 彼らから、〝いまじょ〟へ捧げる鎮魂歌であり曲も優しさに満ちている。

♪ 昔世(ゆ)ど哀れ いまじょ世ぬ哀れ 容姿美(よしぎょ)らさ
  生まれしゃん 女(うなぐ)身ど 哀れ♪
この唄を聴くまで〝いまじょ〟という悲劇のヒロインの存在を知らなかった。
「ワイド節」の陽気な作風に比べ、なんとも重い。
氏の別の一面を見た。

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■構想3年?

選曲のための録音をした。
坪山さんは、曲のイメージを浮かべてから唄い出す。
三味線で音を拾いながら、急に唄い出してしまうことも多く、録音は気が抜けなかった。
明るい曲、暗い曲、力強い曲とバラエティに富んでいる。

皆吉 佐代子さんの話では、坪山さんの即興の唄を、かなり聴いたとのことだったが、なかなか出てこない。
とりあえず、簡易録音で宇検村阿室ご出身の山畑 馨(かおる)さんの作詞・作曲「旅や浜宿り」など7曲ほど収めた。

あれこれと、候補の曲は出てきたが新作・シマウタのCDの構想がまとまらない。
安易に作ればよいとは思っていない。
坪山 豊の自作品だけでまとめるか、それ以外の作品も交えるか、まだまだ収録していないシマウタもたくさんある。

坪山さんも多忙を極め、あっという間に3年が過ぎた。
その間、何度も何度もこれらの曲を聴いてきた。
たぶん、坪山さんの新作シマウタを一番多く聴いたろう。
とにかく、聴いていて 飽きがこないのである。
これらは、奄美のシマウタとして残る曲だと思った。

坪山さんと話し合い、
1.彼の自作の曲、
2.よく唄う新作シマウタ、
3.残したい八月踊り唄を 収録しようと決定した。

坪山さんも今年(’97年)で67歳になる。
唄が充分に唄えるピークを越えようとしている。
そういう面で、お互いに今年にかけたように思う。

■制作開始

「ワイド節」と「永良部の子守唄」は、以前 バンドと共演したことのあり、若い人にもご年配の方々にもいけるとふんでいた。

ドラムやエレキギターやサックスが加わった新作シマウタだ。
三味線の音が妙に新鮮に感じられて、しかも、原曲「ワイド節」よりスケールが大きく爽快感がある。
原曲と一線を画して「ワイド節Ⅱ」と名づけた。

「永良部の子守唄」も原曲とかけ離れてきているため、同じく「永良部の子守唄 II」とした。

結局、自作曲9曲、他作曲3曲、八月踊り唄3曲とトータル15曲の選曲が終わった。
「ユタカ兄、100年残るシマウタを作りましょうよ」
「応(おう)!」
録音が4月末にスタートした。

坪山さんは、板付き舟の注文が来ていて、昼は舟作り、夜は、録音の日々がはじまった。
しかも、15曲のうち2曲は バンドとの共演だ。
4人のスタッフと音を合わさなければいけない。
幸いな事に3人までは、以前、その曲を一緒に演奏した事があった。
とは言え、社会人の足並みはなかなか揃わない。

坪山さんも、ステージですべての曲を一番から最後まで唄っている訳ではない。
結構、スタミナを消耗するのである。
年齢的なものもあり、大事を取って休んだりした。
祝いの席で唄うのは、せいぜい2曲から3曲くらいで、レコーディングが一番しんどかったのである。

その間、風邪もひいたし、声がでなくもなった。
CD完成のゴールは、まったく見えなかった。

昨日 NGを出した曲を本日唄う時には、歌詞が変わっていたりした。
「歌詞が違いますヨ、ユタカ兄!」
「あれは、唄いにくいから歌詞を変えた」
・・・・である。

しかし、唄は、唄い易くあるべきだし、状況により歌詞が変わってこそ「奄美の島唄」なのだ。
録音の為に歌詞を固定化しようとする私がヤボなのだと知る。
奄美の古典シマウタもこの様に変遷してきたのだろうか?

「シマウタは、現代とつながっていなければならない」
「大昔の歌詞で唄っても、今の若い人は興味を示さない、それでは、残らない。今の人の感性に訴えるシマウタが必要だ」
と、坪山さんは おっしゃった。

何度も何度も唄い直し、ようやくメドが立ったのは、2ヶ月後の事だった。
マスターテープを仕上げ、スタッフでそれを聴いた。
別世界に入り込んだ気分だった。

シマウタの新しい波が作れたと確信した。
あとは、この曲をひろめるだけだ。

<奄美島唄コラム | 「ワイド節」秘話>