「ワイド節」秘話

■ワイド節誕生

「中村先生、徳之島の闘牛の歌を作って下さい。」
奄美和光園のレントゲン技師として勤務していた中村民郎に、そう言ってきた入園者がいた。

彼は、中村が新民謡の作詞を手がけた事があるのを知っていた。
徳之島出身のその男は、帰れない島への望郷の念を大好きな闘牛に重ねていたのだ。
中村は、快諾した。

後日、中村が完成させたワイド節の歌詞は、男の日常のちょっとした台詞が大いに参考になったという。

例えば、大雨の日に、こんなことを言った。
「雨だと、島にいる牛が、ちゃんと飯にありつけるか心配だ。」
♪ 雨風しゃんても 牛の飯米や 忘れんな (ワイド節より)
このように、歌詞の随所に彼の思いがちりばめられた。

中村は坪山豊に曲を依頼した。
坪山は、奄美でも名の通った唄者である。
しかし、彼は闘牛を見た事が無かった。
曲のイメージがわかないと、作曲は、さすがに難しい。
完成したのは、5月になってからだった。

坪山は、徳之島へ渡った。
帰省客を当て込んだゴールデンウイーク興業の最中だったため、亀津の闘牛場で、すんなりと闘牛観戦する事が出来た。
そして、その日の船で、名瀬に戻った。
翌日、朝食の最中に、突然、曲がひらめいた。
急いで、録音用のラジカセを準備し、ものの5分間で、ワイド節は完成した。

■徳之島言葉の歌詞に変える

坪山は、歌詞を若干変更した。
足舞んけ(はぎまんけ)を、徳之島言葉で(すねまんけ)に変えた。
徳之島出身の入寮者に聴かせるために、ぜひ、そうしたかったのだ。
ただし、子孫寄らとてぃ(くゎまぐゎ ゆらとてぃ)の部分は、そのままだ。
ここの部分は、徳之島で使う言葉にすると、揃ろとてぃ(そろとてぃ)だが、前者の方が耳になじむからだ。

ともあれ、曲の入ったテープを中村に手渡した。
数日後、中村が、報告に来た。
「例の徳之島の人ね、泣いて喜んでくれたよ」
彼は、満足してくれたのだ。
中村と坪山は、男との約束を果たした安堵感に包まれた。
ワイド節は、 闘牛好きな徳之島の男がオーダーした歌であった。

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■「ワイド節」

1978年(昭和53年)5月6日完成

作詞 中村 民郎(なかむら たみろう)
    鹿児島県大島郡大和村今里出身

作曲 坪山 豊(つぼやま ゆたか)
    鹿児島県大島郡宇検村生勝出身

今や、琉球弧の島々を席巻する新作民謡となった。

1. ワイド ワイド ワイド
  我(わ)きゃ牛ワイド 全島一ワイド
  三京(みきょ)の山風 如何(いきゃ)荒さあても
  愛(かな)しゃる牛ぐゎに 草刈らじうかりゅめ
  ウーレ ウレウレ 手舞(ま)んけ 足舞(すねま)んけ
  指笛(はと)吹け 塩(ましゅ)まけ ウーレ ウレウレ
  我きゃ牛ワイド 全島一ワイド

2.全島一なそちど 破(や)れ着物(ぎん)な着ちゅる
  雨風しゃんても 牛ぬ飯米(はんめ)や忘れんな

3.我きゃ思め牛ぐゎぬ 技美(きょ)らさ見ちゃめ
  眉間(まき)突き角掛け 手先技見事

4.子(くゎ)孫(まが)寄(ゆ)らとて 育(ほで)しゃる牛ぐゎ
  今日(きゅう)ぬ晴場所 でィさぁさ頑張(きば)てんにょ

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■「今度、こんな歌を創ったよ」

坪山豊は、そう言って築地俊造に、ワイド節を歌って聴かせた。
昭和53年当時、築地は坪山宅へ通って島唄を習っていた。
テンポの良い明るい作風に、「面白い歌だ」築地は、一瞬にしてその歌の虜になった。
見よう見真似で、ワイド節を、歌い、弾いてみた。

場面は、一転して徳之島となる。
天城町の産業祭に招聘された築地は、平土野の会場で「奄美で面白い歌が出来ました。途中までですが、聴いて下さい」座興でワイド節を2番まで歌った。

すると、前列に座っていたおじさん、おばさんたちが、親指と小指で角をつくり、牛の真似をして六調よろしく嬉しそうに踊り出した。
あっという間の、大フィーバーであった。

「これは、すごい反応だ!」
築地は、名瀬に戻り、坪山にその事を話した。

■「レコードを吹きこもう」

話しは、短期間に進んでいった。
録音は、名瀬のセントラル楽器の2階で行なわれた。

スタッフは、ボーカル・築地俊造、囃子に坂元久美子、三味線・坪山豊、指笛・太鼓は、池田嘉成だった。七月にレコードは完成した。
行きゅんにゃ加那との2曲入りで発売したレコードは、飛ぶように売れたのである。

ワイド節を流行らせた築地の生まれジマという事もあって、笠利町屋仁の集落内放送では、朝夕にワイド節が流れていたという。
後日、「ワイド節は、昔から徳之島にあった歌だ」と錯覚する徳之島の方人も出てきた。
この歌は、急速に島民の間に定着していった。

■沖縄へ!

徳之島では、沖縄民謡のCDなどがよく売れる。
沖縄住まいの徳之島出身者が多いという事と闘牛の島同士という事で、行き来が頻繁なのだろう。
ワイド節は、このルートから沖縄へ伝播していったと思われる。
2島の中間にある永良部、与論での反応はさほどでもなかった。

■新・島唄

この歌の魂は、徳之島出身の男性の強い郷愁によるものだということは、ワイド節誕生で述べた。
歌は、見事に男の代わりに故郷へたどり着いたのだ。
新しい島唄として…。

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■色々なワイド節

♪「築地俊造」バージョン

ワイド節を琉球弧の島々に広めた功労者。
ワイド節も良く聴くと、この人は、カサン節で歌っていますネ。これこそ、ザ・島唄です。
※「徳之島民謡傑作集ワイド!」に収録
ボーカル:築地俊造/囃子:坂元久美子/サンシン:坪山豊/指笛・島太鼓:池田嘉成

♪「坪山豊 Part1」バージョン

作曲家自らが歌ったご本家ソング。
いいなァ、素朴で、のどかで、牧歌調で・・・。

※ボーカル・サンシン:坪山豊/囃子:皆吉佐代子
CD「余情の唄者」と、カセット・テープ「坪山豊 第1集」に収録分。

♪「坪山豊 Part2」バージョン

※ボーカル・サンシン:坪山豊/囃子:皆吉佐代子/指笛・島太鼓:池田嘉成

生き生きとした仕上がり。
やっぱり、指笛(ハト)や島太鼓(チヂン)があると違います。
グッと、華やいだ曲になりました。
「唄袋の島から」に収録。
坪チャンいわく
「ウン、今までの中でこのワイド節が1番良いっ!」
嗚呼、ボクは歴史的現場に遭遇したんだ・・・。しばし至福の時―。

♪「坪山豊 Part3」バージョン
ボーカル・サンシン:坪山豊/囃子・皆吉佐代子、ここまではいつもと一緒。
キーボード:岩崎文紀/EG:安田洋一/ベース:川畑博行/ドラム:重原典幸
ロック調のワイド節だ。

イカス!カッコイイ!ど迫力だっ!!!
いつものワイド節と区別してワイド節 II と呼んだ。実験的ワイド節です。
「唄袋の島から」に収録。

♪「貴島康男」バージョン

ボーカル・サンシン:貴島康男/囃子:平佐代美のワイド節。
平サンの可愛らしい声が、ワイド節に新しい魅力を与えている。
貴島クンのワイド節もさわやかでいい。
が、考えてみたら、築地、坪山氏以外のワイド節って、ほとんど聴いた覚えがないんです。
普及の為にもいろんな人に歌って欲しいものです。
※「綾蝶の唄」 に収録

♪「里朋樹」バージョン
ボーカル・サンシン:里朋樹、囃子:里歩寿(ありす)の小学生コンビ。
かわいらしい迫力を持ったワイド節だ。
※里朋樹「大樹の唄」に収録しました。

♪「永志保」バージョン
ボーカル・サンシン:永志保
若手女性唄者によるワイド節。
※「太陽加那志の唄」に収録。

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