里アンナの世界

その豊かな声量と凛とした歌声が、聴く人の心の奥深くしみこんでゆく
少女期のあどけなさを残しながらも、迫力ある彼女の声は大きな魅力だ。

おじいさんとの二人三脚は、最高の島唄コンビだった。
彼女もサンシンは弾けるのだが純雄オジ(おじいさんの名)は、唄に専念させてあげたかったのだ。

■島唄に向く声

島唄に向く声がある。
どこまでも伸びやかで高音域も低音域も自在に行き来する声だ。
苦しそうな声では島唄の情緒が台無しだ。
アンナはおじーちゃんにえらばれた娘だ。

妹さんはカラオケコンテストで九州で2位になったというのに、彼女の声は島唄向きではなかったというのだ。
歌が上手ということだけではクリアー出来ない世界がある。

アンナさんと妹さんの歌ををおじーちゃんが聴いた。
「うん、アンナの声は島唄向きじゃ」
妹さんはハズレ。
しかも、「この声は、島唄に向かん!」などと言われ、しっかりトラウマになった。
妹サン、その後島唄を歌っていないものネ。

■島唄の日々

4歳頃から島唄をはじめた。
本格的にやるのはもう少し経ってからだが里アンナは、確実に島唄の芽を吹きつつあった。

4歳から18歳まで島唄にどっぷりとつかっていた。
島唄が好きとか嫌いとかでなく、理屈抜きに島唄と共に歩んだ15年間だったのだ。

唄の中に奄美の原風景を感じさせる瞬間がある。
力強さとりりしさを併せ持った声だ。
伸びやかに歌う。しかし、どこか切ない。

■素顔

島唄を歌う時の彼女と普段の彼女、その落差に目を疑う。
歌う時の彼女は実年齢より大人びて映るのだ。

「ありがとうございます」
すぐに感謝の言葉が口に出る少女だった。
どちらかといえば寡黙な部類(相手がオジサンだったからか?)
に思えたが芯のしっかりした娘だった。

若い娘さんは、演歌よりポップスを好む。
しかし、この娘の資質は演歌に向いていると、おじーちゃんと島唄企画室長は見ていたのだが・・・・・。

■おじいちゃんの言葉

1998年(平成10年)11月8日に東京有楽町の国際フォーラムにて開催した。
島唄を歌う若い娘のゲストは、中野律記(RIKKI)、元ちとせ、里アンナの3名。
里アンナの「太陽ぬ落てまぐれ節」は、神々しく他を圧倒した。

「アンナが大和(都会=ここでは東京のこと)に出るといってきかん島唄が一番本人に合っているのに・・・。思うぞんぶん頑張ってスッキリしたらさっさと帰って来い!そしたら、また一緒に島唄をやろう。」

高校3年の時、東京のプロダクションからオファーがあった。

おじいちゃんは寂しそうだった。

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